皆さんは1990年代後半、ゲームセンターで見かけた「ハイパーネオジオ64」という名前を覚えているでしょうか。当時SNKの掲げたキャッチコピー「新生サムライスピリッツ、見参。」に胸を躍らせたレトロゲーマーもいるかもしれません。ネオジオで『餓狼伝説』や『サムライスピリッツ』といった名作を遊んだ世代にとって、64という数字を冠した新ハードの登場は大きな話題でした。ポリゴン全盛の時代に、SNKが放った唯一の3D対応基板、それがハイパーネオジオ64です。発売当時はひっそりと姿を消していった存在ですが、本記事ではその開発秘話から対応ゲーム、当時の反応、そして現代の再評価まで、あの日々の記憶を呼び起こしながら振り返ってみたいと思います。
開発背景と誕生のストーリー
1990年代前半から中盤にかけて、対戦格闘ゲームブームの波に乗ったSNKはネオジオ(MVS/AES)の大ヒットで大きな成功を収めていました。ところが、時代は『バーチャファイター』(セガ)や『鉄拳』(ナムコ)などに代表される3D格闘ゲームの台頭期。2D格闘ゲームでカプコンと人気を二分していたSNKも、遂に3D表示が可能なシステムの開発に乗り出します。こうして誕生したのがハイパーネオジオ64でした。
しかし、その開発ストーリーは一筋縄ではいきませんでした。当初この基板は、「ネオジオの後継機としてより高品質な2Dグラフィックを実現する」ことを目的に企画されました。長寿を誇った旧ネオジオでは描けない精細なドット絵や大容量データを扱うべく開発されたのですが、ハード性能的に限定的ながら3Dゲームも制作可能であったため、経営陣は途中から3D機能に注力してしまいます。結果、2D強化の本筋から外れ、リリースされたタイトルのほとんどがポリゴン主体の3Dゲームとなりました。ところが肝心の3D性能は競合他社の基板に及ばず、描画されるキャラクターのポリゴンは当時としても粗く動きも滑らかさを欠いており、ゲーム処理全体が重いという問題を抱えていました。これはハードウェア設計上、本来3Dを主目的としていなかったためで、浮動小数点演算をハードウェアではなくソフトウェアで行っていたことが原因とされています。
こうした設計上の制約は後方互換性の維持という事情もあって最後まで改善できず、市場投入されたハイパーネオジオ64の出来栄えは、セガやナムコの最新基板と比べ見劣りするものとなってしまいました。SNKは1997年9月の稼働開始からわずか2年ほどで本基板の開発とソフト供給を停止し、結果として僅か7タイトルのみを生み出してひっそりと幕を閉じました。皮肉なことに、ハイパーネオジオ64の後継を期待された旧ネオジオ(MVS/AES)はその後も開発が継続され、SNK倒産後の2004年まで主力ハードとして稼働し続けることになります。ハイパーネオジオ64は、SNKが時代の転換期に迫られた挑戦と葛藤の産物だったと言えるでしょう。
ハードのスペックと特徴
ハイパーネオジオ64はSNK初の64ビット対応アーケード基板であり、当時流行していた任天堂64などと同様に64ビットRISCプロセッサ(NEC製VR4300、100MHz)を搭載していました。主メモリは16MB、プログラム用ROMに64MBを備え、3Dポリゴン描画用に最大96MBの頂点メモリと16MBのテクスチャメモリ、2Dスプライト表示用には128MBものキャラクターメモリを搭載するという大容量志向が特徴です。2D描画能力(スプライト同時表示最大1536枚など)も当時の他社3D基板を凌ぐスペックを持ち、まさに「2Dと3Dのハイブリッド」を謳う意欲的なハードでした【43†】。映像出力は従来のネオジオ同様に480p相当でしたが、発色数はパレット最大4096色、内部的には約1677万色まで扱えるよう設計されていました。サウンド面でも32チャンネルのPCM音源を搭載し、CDと同等の44.1kHzサンプリングでステレオ音声出力が可能になるなど、当時としてはリッチな構成です。
一方で、運用面の特徴として基板のバリエーションが挙げられます。ハイパーネオジオ64はソフト交換式(ROMカセット式)の基板でしたが、実は用途別に複数の基板バージョンが存在しました。具体的には「格闘ゲーム用」「レーシングゲーム用」「ガンシューティング用」などに分かれており、それぞれ対応するカテゴリのゲームしか動作しない仕様でした。例えば格闘ゲーム用基板では4本の対戦格闘ゲームのみ、レースゲーム用基板では2本のレースゲームのみが動作し、他ジャンル間の互換性はありませんでした。さらに地域限定の特殊版として、韓国市場向けに『サムライスピリッツ』2作品だけが動く基板も存在したと言われています。このような設計は、ゲームセンターのオペレーター(設置店)にとっては汎用性が低く投資判断が難しいもので、結果的に普及の妨げになった側面があります。実際、ハイパーネオジオ64用筐体を導入したものの稼働率が上がらず、後に筐体だけ流用して中身を他社基板に入れ替えてしまった店舗もあったようです。
また、旧ネオジオでは業務用(MVS)と家庭用(AES)が同一スペックで展開されましたが、ハイパーネオジオ64には家庭用コンソール版は存在しません。発売当時、「ハイパーネオジオ64の家庭用機(AES後継)が開発中である」という噂もありましたが、SNKから公式に発表されることはありませんでした。結果として、当時のファンはゲームセンターに行かなければ本基板のゲームを体験できず、コンシューマー移植も極めて限定的なものに留まったのです。
対応ソフトとゲーム体験
ハイパーネオジオ64でリリースされたソフトは、前述のように全部で7タイトルのみです。そのラインナップと概要を以下にまとめます。
- 『ラウンドトリップRV』(SNK、レースゲーム、1997年9月) – 記念すべき第一弾タイトルで、SNK初の本格3Dレーシングゲーム。四輪駆動車でオフロードコースを疾走する内容で、大型の専用筐体を使用した2人同時プレイ(ツイン連結筐体)にも対応していました。迫力ある筐体演出で注目されましたが、ゲーム性はリアル系というよりアーケードライクな操作感でした。
- 『SAMURAI SPIRITS 〜侍魂〜』(SNK、対戦格闘、1997年12月) – 人気シリーズ『サムライスピリッツ』初の3D化タイトル。当時の最新基板であるハイパーネオジオ64の目玉ソフトとして登場し、新キャラクターの緋雨閑丸(ひさめ・しずまる)や破沙羅(はさら)、色(しき)などが初参戦しました。従来の2D作から演出やゲーム性が大きく変化し、ポリゴンならではの多彩なカメラワークや奥行き移動を取り入れています。ただしファンからは「いつものサムスピと違う」と戸惑いの声もあり、評価は賛否両論でした。
- 『オフビートレーサー!』(SNK、レースゲーム、1998年5月) – ラリーレース風のタイトルで、北米版タイトルは「Xtreme Rally」。2人対戦が可能な大型ツイン筐体で発売され、前年の『ラウンドトリップRV』筐体を流用できるコンバージョンキットも用意されました。異なる天候や路面でのレースが楽しめ、BGMには当時流行のテクノ調音楽を採用するなど意欲作でしたが、アーケードのレースゲーム競争は激しく大ヒットには至りませんでした。
- 『ビーストバスターズ セカンドナイトメア』(ADK、ガンシューティング、1998年9月) – 1989年にSNKが発売したガンシューティングゲーム『ビーストバスターズ』の約10年ぶりの続編。ハイパーネオジオ64唯一のサードパーティー(ADK)開発タイトルでもあります。ゾンビや怪物を銃で撃つホラー調のシューティングで、29インチ画面の汎用筐体版と、50インチ大型スクリーンのデラックス筐体版が存在しました。派手な演出は話題になったものの、時期的にガンシューティングブームの終盤だったこともあり設置店は限られていました。
- 『SAMURAI SPIRITS 2 〜アスラ斬魔伝〜』(SNK、対戦格闘、1998年10月) – 上記『侍魂』の続編にあたり、『サムライスピリッツ』シリーズとしては通算6作目に位置付けられるタイトルです。副題にある「アスラ斬魔伝」は登場キャラクター“アスラ”に焦点を当てたストーリーを展開することを意味しています。新たに狂死郎や橘右京など従来キャラも3D化され、前作からの改良も図られました。しかし依然として操作感やスピード感の違いに戸惑うファンも多く、旧来2Dシリーズほどの盛り上がりには達しませんでした。
- 『餓狼伝説 WILD AMBITION』(SNK、対戦格闘、1999年1月) – SNKを代表する格闘シリーズ『餓狼伝説』のリブート的作品で、初代『餓狼伝説』のストーリーを3Dで再構築した意欲作です。テリー・ボガードや京(ゲスト出演)などお馴染みのキャラクターに加え、妹弟子の藍ほたるなど新キャラも登場しました。なお本作はハイパーネオジオ64唯一の家庭用移植タイトルであり、1999年にプレイステーション版が発売されています。家庭で遊べる数少ないタイトルとなりましたが、性能差からか移植度は完全ではありませんでした。
- 『武力 〜BURIKI ONE〜』(SNK、対戦格闘、1999年5月) – ハイパーネオジオ64最後のタイトルとなった異色の格闘ゲームです。空手やボクシング、相撲など世界各国の格闘家が参加する架空の“世界格闘トーナメント’99”を舞台にした作品で、写実路線の地味渋い演出が光ります。最大の特徴は独自の操作系にあり、レバーではなくボタンで移動し、レバー操作で攻撃を繰り出すという斬新な2ボタン操作を採用していました。このため筐体にも専用コンパネが用意されましたが、多くのゲーセンでは対応に苦労したと言います。ゲーム自体は奥深い駆け引きが評価され、一部熱狂的なファンを生みました。
以上がラインナップです。いずれもSNKの人気シリーズや意欲作が揃ってはいましたが、ゲーム体験としては当時の競合に一歩及ばない部分が散見されました。たとえば同時期の3D格闘である『鉄拳3』や『ソウルキャリバー』と比べると、ハイパーネオジオ64の格闘ゲームはポリゴンモデルの粗さやフレームレートの低さが否めず、旧来のドット絵2D格闘と比べても動きのキレに欠ける印象を与えました。レーシングゲームにしても、セガの『デイトナUSA』やナムコの『リッジレーサー』シリーズなど強力な先行作品があり、グラフィック・操作感ともに見劣りする部分があったのは否めません。結果として、ハイパーネオジオ64のゲームはマニア層の興味こそ引いたものの大ヒットには至らず、作品数の少なさもあって短期間で姿を消すことになりました。
ユーザーの声や当時の空気感
ハイパーネオジオ64が稼働した1997~1999年当時、ゲームセンターで実際に本機に触れたユーザーの声はさまざまでした。期待を持って『サムライスピリッツ』や『餓狼伝説』の新作を遊んだSNKファンからは、「新しい試みは面白いがやはり2Dのドット絵の方が好きだ」「ポリゴンよりも従来の描き込みグラフィックの方が迫力がある」といった複雑な反応が聞かれました。一方で「3Dになったキャラクターを新鮮に感じた」「当時は珍しかったリアル系格闘ゲーム『武力』の硬派な雰囲気が忘れられない」など、好意的に受け止めたファンも存在しました。とはいえ全体的には、ネオジオ直系の2D作品が依然根強い人気を保っていたこともあり、本機への移行は熱心なSNKファンの間でも限定的だったようです。
業界全体の空気感としても、90年代末は対戦格闘ゲームブームの終焉期に差し掛かっていました。SNKはネオジオで培ったノウハウから抜け出せず、依然として対戦格闘中心のラインナップに注力していましたが、市場は音楽ゲームやプリクラ、3D大型筐体ゲームなど新たな娯楽へ移行していく時期でした。ハイパーネオジオ64は、そうした流れの中で登場が少し遅すぎたと言えるかもしれません。当時ゲーム専門誌『ゲーメスト』などでも本機の記事が掲載されましたが、結局は旧来ネオジオ作品(KOFやメタルスラッグ等)の人気が勝り、ハイパーネオジオ64対応作は大きな話題とならないままフェードアウトしていきました。
SNKにとって本機の失敗は経営面にも影を落としました。開発費をかけた新基板が振るわなかったことに加え、同時期に投入した携帯機ネオジオポケットも任天堂のゲームボーイカラーに押されて不振、さらにテーマパーク事業「ネオジオワールド」の巨額損失も重なり、旧SNKは1990年代末から急速に経営が傾いていきます。ハイパーネオジオ64とネオジオポケットは旧SNK崩壊の一因とも指摘されており、ファンから見ても「SNKは手を広げすぎた」「時代のニーズを読み違えた」といった辛辣な評価が下されました。それでも当時を知るゲーマーにとって、本機は「あのSNKが挑んだ意欲作」として記憶に残っているのではないでしょうか。ゲームセンターの片隅で静かに輝いていたハイパーネオジオ64の筐体を、懐かしく思い出す方もいるかもしれません。
現代における再評価
短命に終わったハイパーネオジオ64ですが、21世紀に入りレトロゲームとして再評価する動きが見られます。まずエミュレーションの進歩により、かつてプレイが困難だった本基板のゲームがPC上で動作可能になってきました。長年MAMEをはじめとするエミュレータでの対応が遅れていましたが、2020年代に入ってついに全7タイトルが概ねプレイ可能となり(音声処理に一部問題が残るものの)、家庭でも当時のゲーム体験を再現できる環境が整いつつあります。公式からの復刻版発売や移植は今なお実現していませんが、エミュレータを介して現代のゲーマーが触れる機会が増えたことは大きな変化です。
また、YouTubeなどで本機のソフトを紹介・レビューするレトロゲーム愛好家たちの発信も増えています。中でも英語圏のファンが制作した『武力/Buriki One』の検証動画では、実機の基板とROMカセットを購入し、自宅で動かすためにスーパーガン(汎用筐体インターフェース)を接続して専用2ボタン式コントローラーまで自作するという情熱ぶりが話題になりました。このように熱心なファンの努力によって、かつての珍ゲームが丁寧に掘り起こされ、そのゲーム性や開発経緯が再検証されています。「なぜ失敗したのか」「もし当時もっと普及していたら…」といった観点で語られることで、ハイパーネオジオ64はゲーム史の一ページとして新たなスポットライトを浴びているのです。
加えて近年、未発売だったプロトタイプ基板の発見など資料的価値の再認識も進んでいます。2021年には未公開の開発中ゲームが記録された基板が野外の放置品から発掘されるという出来事も報じられ、SNKの開発史を語る上でハイパーネオジオ64が無視できない存在であることが改めて知られました。このようなニュースは国内外のレトロゲーマーの興味を掻き立て、インターネット上で当時の資料や思い出を共有する動きにもつながっています。
現在のSNK(新生SNK)は、往年のタイトルを復刻する企画(ネオジオミニなど)は行っているものの、ハイパーネオジオ64のタイトルに関しては沈黙を保っています。唯一家庭用移植のある『餓狼伝説 WILD AMBITION』ですらデジタル再配信等はなく、他の6作品も公式にはアーカイブ化されていません。しかし逆に言えば現存するアーケード基板やエミュレータ上でしか遊べないレアなゲームとして、その希少性がマニア心をくすぐるとも言えるでしょう。YouTube上のレビュー動画のコメント欄には「初めて見た」「SNKにこんなゲームがあったのか」といった驚きの声や、「当時遊んだがもう一度プレイしたい」という懐古の声が混在しており、今になって評価される隠れたカルト的作品となりつつあります。
もし復活するなら?
もしハイパーネオジオ64が現代に復活するなら、一体どんな形が考えられるでしょうか。妄想を交えていくつかシナリオを描いてみましょう。
まず考えられるのは、「ハイパーネオジオ64ミニ」のような復刻系マシンです。往年のネオジオを手のひらサイズで再現したネオジオミニが発売されたように、本機も小型筐体スタイルで復刻し、7作品(+未発表プロトタイプ?)を内蔵したミニハードとしてリリースするアイデアです。これなら当時を知らないゲーマーにも手軽に体験してもらえますし、筐体デザインもレトロ可愛いインテリアとして受けるかもしれません。ただし販売面的には相当のニッチ向けで、実現可能性は決して高くはないでしょう。
次に、「現代スペックの新ハード」として復活する可能性も考えてみます。事実、SNKは2019年頃にネオジオミニの成功を受けて「Neo Geo 2」「Neo Geo 3」と称する新ハード開発計画を示唆したことがあります。これが実現すれば、ハイパーネオジオ64以来となる久々の自社ハードとなるわけですが、果たしてどのような方向性になるでしょうか。もし筆者が勝手に「ハイパーネオジオ128」という後継機を企画するとしたら、当時なし得なかった夢の実現に挑戦したいですね。例えば、徹底的に高品質な2D描画(4K解像度対応のドット絵表示やスプライト数無制限)と現代的3D機能の両立、さらには旧ネオジオやハイパーネオジオ64の完全互換モードを搭載してレトロゲームも動かせる、そんなロマンあふれる仕様です。現代のハード性能であれば当時苦労したポリゴン演算も造作ないでしょうし、ネットワーク機能を活かして世界中のプレイヤーと対戦できるようにするなど、「もしもSNKがもう一度ハードを作ったら」というファンの夢を盛り込んだマシンも妄想してみたくなります。
もっとも、現実にはSNKは現在マルチプラットフォームでのソフト展開(KOFやサムスピ新作をPS4/Steam等で展開)に注力しており、新ハード参入のハードルは高いのが実情です。それでも「ハイパーネオジオ64復活」を掲げるなら、最後にもう一つ、ソフト面からのアプローチもあるでしょう。すなわち、本機のゲーム群を現代の技術でリメイク・続編制作するという道です。例えば『サムライスピリッツ〜侍魂〜』や『武力ONE』をUnreal Engineなどでフルリメイクし、新作として蘇らせるアイデアです。当時未熟だったポリゴン表現を現代クオリティでリブートすれば、往年のファンは歓喜し新規ファンにもアピールできます。既にSNKは2019年に『SAMURAI SPIRITS(令和版)』という形で2Dシリーズを復活させ成功を収めていますから、その延長で3Dシリーズ(ハイパーネオジオ64作品)の復活も夢ではないかもしれません。「もしも復活するなら…」それはレトロゲーマーにとって夢想するだけでも楽しいテーマであり、実現を密かに願っているファンもいることでしょう。
まとめと筆者の思い
ハイパーネオジオ64は、栄光のネオジオの次を担うはずだった幻のハードです。結果的には時流に乗れず僅かな期間で姿を消しましたが、その存在はSNKの挑戦と苦闘の歴史そのものでもあります。筆者自身、当時ゲーム雑誌の新製品紹介記事で本機の写真を食い入るように眺め、「いつか家庭用が出たら欲しいな」と夢見ていた記憶があります。実際にゲームセンターで触れたのは数回程度でしたが、大好きな『サムライスピリッツ』がポリゴンになった時の驚きと少しの寂しさは今も忘れられません。
あれから四半世紀が経ち、ハイパーネオジオ64はレトロゲームとして語られる存在になりました。振り返れば、あの挑戦があったからこそSNKはその後の困難な時代を乗り越え、新生SNKとして復活したとも言えるかもしれません。当時は受け入れられなかった作品群も、今遊んでみると意外な発見や楽しさがあるものです。レトロゲーマーの皆さんもぜひ機会があれば、ハイパーネオジオ64の世界に再び触れてみてください。当時感じた興奮や戸惑い、そしてSNKらしさへの愛着が、きっと蘇ってくるはずです。
最後に一言。筆者にとってハイパーネオジオ64は、青春の思い出のワンシーンです。華やかなゲーム史の陰で散っていったハードですが、その志とロマンは確かに存在しました。この記事が、同じ思い出を持つ方には共感と懐かしさを、知らなかった方には新たな発見と興味を提供できたなら幸いです。ハイパーネオジオ64は失敗作と呼ばれたかもしれませんが、レトロゲームの宝箱にはこうした輝く一瞬が詰まっているのだと、改めて感じずにはいられません。